8月15日〜8月28日
私は、父親の故郷の土佐清水市を訪れるたびに銭湯の上に喫茶店がある建物が、ずっと気になっていた。その名前は、「相生湯」と「モカ」。
銭湯相生湯は、1925年(昭和元年)に開業された。お昼2時から開店した銭湯には、漁を終えた漁師さんが、汗を流し、夕方以降は、家族連れで、たくさんの人が訪れたという。夜は11時までだが、お客が、銭湯を出る頃には、毎日、日付けが、変わっていたという。
銭湯のお湯は、大鋸屑(おがくず)や薪をボイラーにくべてお湯を沸かした。身体が温まって、いつまでも湯冷めしないお湯が自慢だった。
浴槽は、浴室の中心にあり、男湯、女湯から双方から見上げられる天井の吹き抜けは、開放感があった。壁は、銭湯にありがちな富士山の絵などはない。開業当時は、檜の壁で、浴室は,ほのかな檜の匂いがしていたそうです。
しかし、各家庭にお風呂が普及し、漁港の賑わいも下火になるに連れて、銭湯を利用するお客さんも少なくなっていった。ボイラーにくべる大鋸屑や薪も以前は近くの製材所からもらってきていたが、以前ほど、もらえる大鋸屑の量が少なくなり、隣の四万十市まで、買い付けに車で毎日何度も走らなければならなくなった。そしてボイラーが、とうとう悲鳴をあげた。また長年、番台を努めてきたお母さんが、長時間番台に居続けることが難しくなってきた。いくつもの理由などが重なり、銭湯「相生湯」は、2014年(平成26年)9月、惜しまれながらも89年の歴史に幕を閉じた。
喫茶モカは、1970年(昭和45年)銭湯相生湯の脱衣場の2階を改築して開店された。
南側の大きな窓から晴れていると温かな日差しが差し込んできて、銭湯に入ったお客さんが、窓際の席に座って、ウトウトとお昼寝をしていたそうです。
店内は、アンティーク調の内装で、飾られている絵画や時計は、土佐清水市が、アメリカ合衆国マサチューセッツ州フェアヘーブン市とベットフォード市と姉妹都市を締結した記念に商店街のストリートで、蚤の市をした時に買い付けたものだそうです。
喫茶モカは、今でも相生湯の2階で、営業をして、市民の憩いの場となっています。
私は、この撮影を通じて、銭湯相生湯と喫茶モカの記録と、相生湯と歩んだ利用者の記憶、そしてそこにある土佐清水の歴史を記録することを考えながら被写体に向かっていました。